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最高裁判所第三小法廷 平成7年(オ)228号 判決

主文

原判決を破棄する。

被上告人らの控訴をいずれも棄却する。ただし、第一審判決主文第一項を次のとおり更正する。

「一 被告らは原告らに対し、別紙目録記載の不動産につき、原告福井栄子持分三分の一、同福井真樹男持分三分の二とする所有権移転登記手続をせよ。」

控訴費用及び上告費用は被上告人らの負担とする。

理由

上告代理人山口定男の上告理由第二点について

一  原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。

1  旧門司市所在の本件土地建物、すなわち庄司町の土地、東門司の土地並びに花月園の土地及び建物は、いずれも、昭和二九年当時、福井重男の所有であり、このうち東門司の土地及び花月園の建物は第三者に賃貸されていた。重男の五男であった福井邦弥は、当時福岡県門司市に居住していたところ、同年五月ころから重男の所有不動産のうち同市に所在していた本件土地建物につき占有管理を開始し、本件土地建物のうち東門司の土地及び花月園の建物については、賃借人との間で、賃料の支払、賃貸家屋の修繕等についての交渉の相手方となり、賃料を取り立ててこれを生活費として費消していた。

2  邦弥が昭和三二年七月二四日に死亡したことから、その相続人である妻の上告人栄子(相続分三分の一)及び長男の上告人真樹男(相続分三分の二。昭和三〇年七月一三日生)が本件土地建物の占有を承継したところ、上告人栄子は、邦弥の死亡後、本件土地建物の管理を専行し、東門司の土地及び花月園の建物については、賃借人との間で、賃料額の改定、賃貸借契約の更新、賃貸家屋の修繕等を専決して、保守管理を行い、賃料を取り立ててこれを生活費の一部として費消している。

3  上告人栄子は、本件土地建物の登記済証を所持し、昭和三三年以降現在に至るまで継続して本件土地建物の固定資産税を納付している。

4  重男は、昭和三六年二月二七日に死亡し、その相続人は、妻である被上告人八重子、長男である福井秀隆、二男である被上告人秀徳、四男である福井弘、長女である被上告人新谷英子及び孫である上告人真樹男(代襲相続人)であった。重男は、生前、その所有する多数の土地建物につきその評価額、賃料収入額等を記載したノートを作成していたところ、右ノートには本件土地建物について「邦弥ニ分与スルモノ」との記載がされている。秀隆は、昭和三八年ないし三九年ころ、重男の経営に係る福井商店の債務整理のため本件土地建物を売却しようとしたが、上告人栄子は、邦弥が本件土地建物を重男から贈与された旨を邦弥からその生前に聞いていたので、当時所持していた右ノートを秀隆に示して本件土地建物の売却に反対し、結局、本件土地建物は売却されなかった。

5  本件土地建物の登記簿上の所有名義人は、重男の死亡後も依然として同人のままであったことから、上告人栄子は、昭和四七年六月、本件土地建物につき上告人ら名義に所有権移転登記をしようと考えて、被上告人八重子に協力を求めたところ、同被上告人は、上告人栄子の求めに応じて、本件土地建物につき「亡福井重男名義でありますが生前五男福井邦弥夫婦に贈与せしことを認めます」との記載のある「承認書」に署名押印した。被上告人八重子の助言もあったことから、上告人栄子は、これに引き続いて、被上告人秀徳及び被上告人英子を訪れて、本件土地建物につき上告人ら名義に所有権移転登記をすることの同意を求めたが、被上告人秀徳は秀隆の意向次第であると答え、被上告人英子は経緯を知らなかったことから同意せず、結局、本件土地建物について上告人ら名義への所有権移転登記はされなかった。

二  本件請求は、重男の相続人又はその順次の相続人である被上告人らに対して、上告人らが本件土地建物につき所有権移転登記手続を求めるものであるところ、上告人らの主張は、(1) 邦弥は昭和三〇年七月に重男から本件土地建物の贈与を受けた、(2) 邦弥が昭和三〇年七月に本件土地建物の占有を開始した後(同三二年七月二四日に同人の死亡により上告人らが占有を承継)、一〇年又は二〇年が経過したことにより取得時効が成立した、(3) 上告人らが昭和三二年七月二四日に本件土地建物の占有を開始した後、一〇年又は二〇年が経過したことにより取得時効が成立した、というものである。

原審は、次のとおり判断して、上告人らの請求を棄却した。

1  重男から邦弥に対する本件土地建物の贈与については、これを推認させる間接事実ないし証拠があるが、贈与の事実の心証までは得られず、重男は本件土地建物を邦弥に贈与する心積もりはあったがこれを履行しないうちに邦弥が死亡したという限度で事実を認定し得るにとどまる。

2  邦弥は昭和二九年五月ころに有償の委任契約に基づく受任者として本件土地建物の占有を開始したものであり、上告人らの主張する昭和三〇年七月の贈与が認められないのであるから、邦弥はその後も依然として受任者としての占有を継続していたものというべきであり、同人の占有は占有権原の性質上他主占有である。

3  上告人らは邦弥の死亡に伴う相続により本件土地建物の占有を開始したものであるが、(1) 重男の死亡に伴い提出された昭和三八年一二月三日付け相続税の修正申告書には本件土地建物のほか東門司の土地の賃料及び花月園の建物の賃料が相続財産として記載されているところ、上告人栄子はそのころ右修正申告書の写しを受け取りながら、その記載内容について格別の対応をしなかったこと、(2) 上告人らが昭和四七年になって初めて本件土地建物につき自己名義への所有権移転登記手続を求めたことなどに照らせば、邦弥の他主占有が相続を境にして上告人らの自主占有に変更されたとは認められない。

三  しかしながら、原審の右判断中3の部分は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  被相続人の占有していた不動産につき、相続人が、被相続人の死亡により同人の占有を相続により承継しただけでなく、新たに当該不動産を事実上支配することによって占有を開始した場合において、その占有が所有の意思に基づくものであるときは、被相続人の占有が所有の意思のないものであったとしても、相続人は、独自の占有に基づく取得時効の成立を主張することができるものというべきである(最高裁昭和四四年(オ)第一二七〇号同四六年一一月三〇日第三小法廷判決・民集二五巻八号一四三七頁参照)。

ところで、右のように相続人が独自の占有に基づく取得時効の成立を主張する場合を除き、一般的には、占有者は所有の意思で占有するものと推定されるから(民法一八六条一項)、占有者の占有が自主占有に当たらないことを理由に取得時効の成立を争う者は、右占有が他主占有に当たることについての立証責任を負うべきところ(最高裁昭和五四年(オ)第一九号同年七月三一日第三小法廷判決・裁判集民事一二七号三一五頁)、その立証が尽くされたか否かの判定に際しては、(一) 占有者がその性質上所有の意思のないものとされる権原に基づき占有を取得した事実が証明されるか、又は(二) 占有者が占有中、真の所有者であれば通常はとらない態度を示し、若しくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかったなど、外形的客観的にみて占有者が他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される事情(ちなみに、不動産占有者において、登記簿上の所有名義人に対して所有権移転登記手続を求めず、又は右所有名義人に固定資産税が賦課されていることを知りながら自己が負担することを申し出ないといった事実が存在するとしても、これをもって直ちに右事情があるものと断ずることはできない。)が証明されて初めて、その所有の意思を否定することができるものというべきである(最高裁昭和五七年(オ)第五四八号同五八年三月二四日第一小法廷判決・民集三七巻二号一三一頁、最高裁平成六年(オ)第一九〇五号同七年一二月一五日第二小法廷判決・民集四九巻一〇号三〇八八頁参照)。

これに対し、他主占有者の相続人が独自の占有に基づく取得時効の成立を主張する場合において、右占有が所有の意思に基づくものであるといい得るためには、取得時効の成立を争う相手方ではなく、占有者である当該相続人において、その事実的支配が外形的客観的にみて独自の所有の意思に基づくものと解される事情を自ら証明すべきものと解するのが相当である。けだし、右の場合には、相続人が新たな事実的支配を開始したことによって、従来の占有の性質が変更されたものであるから、右変更の事実は取得時効の成立を主張する者において立証を要するものと解すべきであり、また、この場合には、相続人の所有の意思の有無を相続という占有取得原因事実によって決することはできないからである。

2  これを本件についてみるに、前記事実関係によれば、上告人栄子は、邦弥の死亡後、本件土地建物について、邦弥が生前に重男から贈与を受け、これを上告人らが相続したものと信じて、幼児であった上告人真樹男を養育する傍ら、その登記済証を所持し、固定資産税を継続して納付しつつ、管理使用を専行し、そのうち東門司の土地及び花月園の建物について、賃借人から賃料を取り立ててこれを専ら上告人らの生活費に費消してきたものであり、加えて、本件土地建物については、従来から重男の所有不動産のうち門司市に所在する一団のものとして占有管理されていたことに照らすと、上告人らは、邦弥の死亡により、本件土地建物の占有を相続により承継しただけでなく、新たに本件土地建物全部を事実上支配することによりこれに対する占有を開始したものということができる。そして、他方、上告人らが前記のような態様で本件土地建物の事実的支配をしていることについては、重男及びその法定相続人である妻子らの認識するところであったところ、同人らが上告人らに対して異議を述べたことがうかがわれないばかりか、上告人栄子が昭和四七年に本件土地建物につき上告人ら名義への所有権移転登記手続を求めた際に、被上告人八重子はこれを承諾し、被上告人秀徳及び被上告人英子もこれに異議を述べていない、というのである。右の各事情に照らせば、上告人らの本件土地建物についての事実的支配は、外形的客観的にみて独自の所有の意思に基づくものと解するのが相当である。原判決の挙げる(1) 重男の遺産についての相続税の修正申告書の記載内容について上告人栄子が格別の対応をしなかったこと、(2) 上告人らが昭和四七年になって初めて本件土地建物につき自己名義への所有権移転登記手続を求めたことは、上告人らと重男及びその妻子らとの間の人的関係等からすれば所有者として異常な態度であるとはいえず、前記の各事情が存在することに照らせば、上告人らの占有を所有の意思に基づくものと認める上で妨げとなるものとはいえない。

右のとおり、上告人らの本件土地建物の占有は所有の意思に基づくものと解するのが相当であるから、相続人である上告人らは独自の占有に基づく取得時効の成立を主張することができるというべきである。そうすると、被上告人らから時効中断事由についての主張立証のない本件においては、上告人らが本件土地建物の占有を開始した昭和三二年七月二四日から二〇年の経過により、取得時効が完成したものと認めるのが相当である。

四  したがって、これと異なる判断の下に、上告人らの本件土地建物の占有を他主占有として取得時効の主張を排斥し、上告人らの請求を棄却した原審の判断には、法令の解釈適用の誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法があるものといわざるを得ず、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は右の趣旨をいうものとして理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、前に説示したところによれば、本件土地建物について所有権移転登記手続を求める上告人らの請求は理由があるから、これを認容すべきであり、これと結論を同じくする第一審判決は正当であって、被上告人らの控訴は棄却すべきものである。なお、第一審判決主文第一項に明白な誤謬があることがその理由に照らして明らかであるから、民訴法一九四条により主文のとおり更正する。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官可部恒雄の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官可部恒雄の補足意見は、次のとおりである。

一  本判決は、法廷意見の引用する「相続と民法一八五条にいう『新権原』についての昭和四六年一一月三〇日第三小法廷判決を主要な先例とするものであり、これについては優れた判例解説及び評釈があるが(柳川・同年度解説[42]、四宮・法協九一巻一号一八八頁)、右判決の採り上げた取得時効の成否については、民法一八六条一項の推定規定をめぐって、(1) 実務上大きな影響をもたらした昭和五八年三月二四日第一小法廷判決と、(2) その法理の運用に修正を加えた平成七年一二月一五日第二小法廷判決の二つがあり、本判決もこれら先例を踏まえて原判決の判断を覆した上、自判の結論に至っているので、昭和五八年第一小法廷判決以後の裁判例の動向を上告事件の審理の実際に当たって眺めて来た者の一人として、以下に若干の所見を述べて法廷意見の補足とすることにしたい。

二  「占有者は所有の意思で占有するものと推定されるのであるから(民法一八六条一項)、占有者の占有が自主占有にあたらないことを理由に取得時効の成立を争う者は右占有が他主占有にあたることの立証責任を負う」(前掲昭和五四年七月三一日第三小法廷判決)ところ、(一) 「占有における所有の意思の有無[占有が自主占有であるかどうか]は、占有取得の原因たる事実によって外形的客観的に定められるべきものである」(最高裁昭和四五年(オ)第三一五号同年六月一八日第一小法廷判決・裁判集民事九九号三七五頁、前掲昭和五四年七月三一日第三小法廷判決)とすること判例である。

また、判例は、(二) 家督相続制度の下にあった昭和十年代において、戸主甲が、家族乙の死亡による相続が共同遺産相続であることに想到せず、戸主たる自己が「単独に相続したものと信じて疑わず、相続開始とともに相続財産を現実に占有し、その管理、使用を専行してその収益を独占し、公租公課も自己の名でその負担において納付してきており、これについて他の相続人がなんら関心をもたず、もとより異議を述べた事実もなかったような場合には、前記相続人はその相続のときから自主占有を取得したものと解するのが相当である」(最高裁昭和四五年(オ)第二六五号同四七年九月八日第二小法廷判決・民集二六巻七号一三四八頁)とした。

三  これらの先例を踏まえて「民法一八六条一項の所有の意思の推定が覆される場合」について判示したのが、法廷意見の引用する昭和五八年三月二四日第一小法廷判決(いわゆる「お綱の譲り渡し」事件判決)である。

同判決は、占有者による占有の意思は、占有者の内心の意思によってではなく、(一) 占有取得の原因である権原(前掲昭和四五年六月一八日第一小法廷判決参照)又は(二) 占有に関する事情(前掲昭和四七年九月八日第二小法廷判決参照)により外形的客観的に定められるべきものである、とした上で、<1>「占有者がその性質上所有の意思のないものとされる権原に基づき占有を取得した事実が証明されるか」、又は<2>「占有者が占有中、真の所有者であれば通常はとらない態度を示し、若しくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかったなど、外形的客観的にみて占有者が他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される事情が証明されるときは」、占有者の内心の意思のいかんを問わず、その所有の意思を否定し、時効による所有権取得の主張を排斥しなければならない旨を判示した。

四  判例集に登載された同判決の判示事項は、前述のとおり「民法一八六条一項の所有の意思の推定が覆される場合」であり、この点についての判例・学説は、同事件の判例解説や評釈に詳しい(淺生・同年度解説[6]、後掲有地=生野評釈等参照)。そして、同判決の意義は、「占有の権原」だけでなく「占有に関する事情」もまた、右の推定を覆す事実に当たることを正面から認めた点にある(解説七五頁)とされる。問題は、<2>の占有に関する事情(態様)のうち、a「真の所有者であれば通常はとらない態度を示し」、若しくはb「所有者であれば当然とるべき行動に出なかった」という、抽象的で美しく、一見分かり易くみえる判示の表現するところが、現実の具体的事案に適用される段階で果たしてどのように機能するか、の点にある。

同事件判例解説は、a「真の所有者であれば通常はとらない態度を示し」というのは、占有者が係争地の一部を相手方から買い受けた事実がある以上、係争地が相手方の所有であることを承認していたものであるとし(大判大四・三・一〇)、共同相続人の一人である占有者が相続人間で分割の話を持ち出してほしいと依頼したことから所有の意思を否定した(東京高決昭四二・四・一二)例の如きものを指し、また、b「所有者であれば当然とるべき行動に出なかった」というのは、「占有者密ニ占有ヲ為シ他人ノ其原因ヲ糺スモ曖昧ナル答弁ヲ為シテ所有者ニ其所為ヲ知ラシメサルヲ勉ムルトキ」(ボアソナード)とか、会社が土地の贈与を受けたといいながら、長期間登記を受けずまた公租公課を納付していない(大判昭一〇・九・一八)例の如きものを指すものとしている(解説七六頁)。

右の解説の例示するところは、それぞれに、一応素直に肯定することができるもののように思われる。

五  ところで、この点について昭和五八年第一小法廷判決の判示するところはどうであろうか。

同事件の原審は、亡父寿一から同居中の長男xが「お綱の譲り渡し」を受け、単に家計の収支面の権限にとどまらず財産的な処分権限まで付与されていたもので、その処分権限の付与を以て未だ所有権の贈与と断じ難いとしても、なお「お綱の譲り渡し」によってxに移転した占有は、xの自主占有に当たるとした。

これに対し上告審判決は、原判決の判示が単に贈与があったとまで断定することはできないとの消極的判断を示したにとどまる趣旨であるとすれば、占有取得の原因である権原の性質によってxの所有の意思の有無[自主占有なりや否や]を判定することはできないが、寿一とxとが同居中の親子の関係にあることに加えて、寿一からxへの占有の移転がいわゆる「お綱の譲り渡し」により本件各不動産についての管理処分権の付与とともになされたことに照らすと、xによる本件各不動産の占有に関し、「それが所有の意思に基づくものではないと認めるべき外形的客観的な事情が存在しないかどうかについて特に慎重な検討を必要とする」とした上で、原判決がxの占有を自主占有と認める根拠として挙げた事実は、所有権の移転を伴わない管理処分権の付与の事実と必ずしも矛盾するものではないから、xの占有が自主占有なりや否やを判断する上において決定的事情となるものではない、と判示した。そして、第一小法廷判決は更に次のような説示を加える。

「かえって、右『お綱の譲り渡し』後においても、本件各不動産の所有権移転登記手続はおろか、農地法上の所有権移転許可申請手続さえも経由されていないことは、xの自認するところであり、また、記録によれば、寿一は右の『お綱の譲り渡し』後も本件各不動産の権利証及び自己の印鑑をみずから所持していてxに交付せず、xもまた家庭内の不和を恐れて寿一に対し右の権利証等の所在を尋ねることもなかったことがうかがわれ、更に審理を尽くせば右の[所有の意思に基づくものではないと認めるべき外形的客観的な]事情が認定される可能性があったものといわなければならないのである。そして、これらの占有に関する事情が認定されれば、たとえ前記のようなxの管理処分行為があったとしても、xは、本件各不動産の所有者であれば当然とるべき態度、行動に出なかったものであり、外形的客観的にみて本件各不動産に対する寿一の所有権を排斥してまで占有する意思を有していなかったものとして、その所有の意思を否定されることとなって、xの時効による所有権取得の主張が排斥される可能性が十分に存するのである」と。

六  占有が所有の意思に基づくものであるか否か[自主占有なりや否や]を占有に関する事情(態様)に着目して、具体的事案において判定するための指標として、同判決が一般的立言の形式において判示したのは、占有者が占有中、a「真の所有者であれば通常はとらない態度を示し」、若しくはb「所有者であれば当然とるべき態度に出なかった」ことであるが、判決が同事件において後者bの実例として挙げたのは、「本件各不動産の所有権移転登記手続はおろか、農地法上の所有権移転許可申請手続さえも経由されていないこと」及び寿一が「お綱の譲り渡し」後も本件各不動産の権利証や自己の実印をxに交付しなかったのに、xが「家庭内の不和を恐れて寿一に対し右の権利証等の所在を尋ねることもなかったこと」である。

判決の言及する寿一からxへの所有権移転登記手続及び農地法上の許可申請手続については、係争不動産の所在地である熊本県下益城郡豊野村及び係争不動産自体についての実体調査に基づく判例評釈において、「判決が指摘するような登記手続などがされていないこと、権利書が交付されていないことだけで、農地承継につき所有者であれば当然とるべき行動に出なかったというのはあまりにも農村の実状を無視した論拠ではないであろうか」との批判がなされている(注)。

(注) 有地=生野・民商九〇巻五号七四八頁。なお、同評釈は、引用の結論部分に先立って次のように述べている。「本件で指摘された事実[bの実例として判決が挙げた箇所参照]は農村における実態からみれば、かなり現実離れした事実であることは否めない。農村社会では、農地について親からあとつぎへと相続がなされ、所有権が移転しても、移転登記手続や農地法上の所有権移転許可申請が一般になされない場合がむしろ普通であって、不動産の登記名義が二~三代前のもののままであることも珍しくない。本件不動産所在地の豊野村も例外ではなく、農地の名義換えは特別の事情がなければなされなかったようである。本件でも、本件不動産の中にはいまだ祖父名義のままのが残っているものもあるのがこのことを裏書している・・・・・・本件の不動産の中には権利書が存在しないものもある」と。

七  この事件では、第一次的に同居中の父からの生前贈与が主張され、なお予備的にxによる時効取得が主張されているが、それがこの種の事案における紛争の通常の形態であり、同居の親族間においては互いに権利義務関係を露骨に主張することを憚り、結果として、法律的に明確な措置に出ることを怠って、後日に紛争の火種を残すことになるのがむしろ通常であるといえよう。そのような風土、習性、人情が日本の長所であるとはいい難いが、さりとて経済的な競争社会において、個人間の権利義務関係が契約によって初めて規律される状況を前提として、所有権が移転したというなら何故その旨の登記が経由されていないのか、何故その登記を求めなかったのかと声高に指摘して、その一点に贈与の有無ないし自主占有の成否をかからしめるのは、およそこの種紛争の実態に合致しない態度というべきであろう。贈与を原因とする登記が経由されれば、相続税よりも高額の贈与税の負担が目前に迫ることになる。被相続人が死亡した場合は、相続人にとって相続税の負担は、どのような状況の下においても免れることのできないものであるが、生前贈与があった場合には、登記即贈与税の賦課という目前の負担が、贈与を原因とする所有権移転登記の経由という明確な法律的処理をする上での大きな制約となろう。もし、その負担を敢えてして所有権移転登記が経由されたならば、実際上もはや紛争発生の余地はなく、生前贈与の有無や取得時効の成否が論議されることもない。のみならず、占有者が悪意であるときは、悪意の占有者が所有名義人に対し所有権移転登記を求めることがないのは当然であって、移転登記手続を求めないからといって、占有者の所有の意思が否定されることにならないのは、自明のことというべきであろう。要するに、生前贈与の有無ないし取得時効の成否が争われている事案において、所有権移転登記が経由されているか否かをこと新しく指摘してみても、基本的な事実関係を認定する上でさしたる意味を持ち得ないことを知るべきである。

八  翻って第一小法廷判決の判示するところをみるのに、判文中所有権移転登記に言及する箇所があるのはさきにみたとおりであるが、その文脈からすれば、必ずしも被相続人寿一から同居中の長男xへの所有権移転登記の経由いかんを以て、占有者xの所有の意思の有無(自主占有の成否)を決する上での重要なポイントとしたものとはいえないのではないかと思われる。

この点につき特に注目されるのは、法廷意見の引用する平成七年一二月一五日第二小法廷判決の判旨である。同判決は、「登記簿上の所有名義人に対して所有権移転登記手続を求めないなどの土地占有者の態度が他主占有と解される事情として十分であるとはいえないとされた事例」に関するものであるが、同判決は、占有者から登記簿上の所有名義人に対し所有権移転登記手続を求めなかったとしても、「占有者と登記簿上の所有名義人との間の人的関係等によっては、所有者として異常な態度であるとはいえないこともある」とし、また、登記簿上の所有名義人に固定資産税が賦課されていることを知りながら、占有者がその負担を申し出なかったとしても、その「税額等の事情によっては、所有者として異常な態度であるとはいえないこともある」として、「これらの事実は、他主占有事情の存否の判断において占有に関する外形的客観的な事実の一つとして意味のある場合もあるが、常に決定的な事実であるわけではない」旨を判示した。

その判示するところは、「お綱の譲り渡し」事件につき第一小法廷判決が、占有者が占有中「真の所有者であれば通常はとらない態度を示し、若しくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかったなど」云々と判示して以来、下級審裁判例において、占有者から登記簿上の所有名義人に対し所有権移転登記手続を求めず、その登記が経由されていないことを以て、自主占有の成否を決する上での重要なポイントであるかの如き解釈運用が少なからず見受けられた近時の状況の下において、その運用上の偏りを修正する上で、その意味するところは大きい。本判決も、この点につき第二小法廷判決と趣旨を同じくするものである。

(裁判長裁判官 尾崎行信 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫)

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